答えは「ボディハッキング」。
こんにちは。脚立です。
突然なのですが、
うちの家族は、誰もテレビを見ません。
娘も息子も私も、アニメはパソコンで見ています。
旦那さんは、アニメも見ませんが、野球もサッカーもオリンピックも関心がありません。
私が子供の頃は、
リモコン取って~!!
といえば当然、テレビのリモコンのことでした。
でも今、我が家でリモコンと言えば、
エアコンのリモコン、のこと以外の何物でもありません。
いつもは見ないテレビ なのですが、
5月の終わりに、
超最先端の身体改造「ボディハッキング」とは?
という内容のテレビ番組を、途中からでしたが偶然見て、
あっ!!と思って、
慌てて録画しました。
それ以前にも、ネットニュースで、
体の中にマイクロチップを埋め込む、
というのを読んで、
あっ!!
と、衝撃を受けたことがありました。
二つも目にすると、さすがに、
いよいよ本当にそうなるんだな・・・
と、思わずにいられませんでした。
なぜなら以前、私も、
耳の後ろにチップみたいなのを埋め込んで、それは電話のように使われて、固定電話のみならず、携帯電話なんていうのも必要なくなる。手で持たなくても体に入っているので、携帯する必要がないから。
そしてゆくゆくは、そういうチップさえ必要なくなって、何もない状態、いわゆるテレパシーで人は意思の疎通が取れるようになる。
という映像が、突然、自分の目の前に広がったことがあったからです。
私の感覚からしたら、目の前に映像が広がった、という表現が正しいのですか、
でも一般的にはきっと、私の頭の中に見えた、と言った方がいいんでしょうね。。。
こういうのを、白昼夢っていうのでしょうか??
その映像を目にしても、そもそも私には色々な知識が足りなかったので、
そんなチップを人間の体内に埋め込むためには、一体どれだけ大掛かりな手術とその技術の向上が必要になるんだろう??
とか、
それが使えるようになるには、どれだけ人間の感覚が成熟しないとならないんだろう?
とか、
そうなるには、一体何百年かかるんだろう??
とか、
現実では到底ありえないSF的な感じでしか理解できず、へーそうなんだあ!と思うより、戸惑いの方が断然大きかったので、私はその映像が教えてくれることを十分には受け取ることが出来ませんでした。
今から約25年ぐらい前のことです。
まさかチップが、綿棒の先っちょより細くって、
まさか大掛かりな手術が、穴の開いた竹串みたいので、注射するぐらいの手軽さで済んじゃうとは、
あの時の私には、まったく思いもつかなかったです。
その映像を見たのは、私が情報通信業で会社員をしていて、自分のデスクに戻って椅子に座ろうと、背もたれに手を掛けた時でした。
まだ、IT企業という言葉はありませんでした。
時代も、社内メールの環境が整いだした、そんな頃です。
今から思えばメールの使い方ごときで、なんでわざわざ!!と思いますが、
全国の営業所から社員を一泊で出張させて、社員教育していました。
携帯電話はなく、出張に行く社員には、ショルダーホンを貸し出していました。平野ノラが肩から下げているヤツです。
でも、その一年後ぐらいに私は、社内販売で携帯電話を買いました。私の初めての携帯電話の端末はノキア製でした。
この時には気が付かなかったのですが、
実は、テレパシーよりさらに進んだ環境が、当たり前の日常になっている映像を、もっと以前に見ていました。
逆行するようですが、会社員の私より随分前の、中学二年になったばかりの私が見ていました。
クラスの友達が、
これ、読んで感想を聞かせて!!
と私の目の前に、仲間内で手作りした冊子を差し出しました。
今でいう同人誌です。イラスト、漫画、小説をそれぞれが持ち寄ってコピーして、本のようにめくれるようにホチキスで留めてありました。
表紙には、
桃源郷、
と書いてありました。
私には初めて見る言葉でした。
読めませんでしたが、漢字の美しさにとても感動しました。
なんて読むの?
と聞いたら、トウゲンキョウだよ。と教えてくれました。
帰宅してすぐ、辞書を開いて、桃源郷を見つけました。
そうしたら、その辞書の上に、突然、映像が広がったんです。
はじめは、静止画かな?と思いましたが、
いや違う、動いてる!ということにすぐ気が付きました。
動画を静止画と見間違うぐらい、ゆっくりと穏やかで、音のない静かな環境でした。
印象としては、淡いパステル画のようでした。
近代的な印象がある反面、同時に豊かな自然の中で暮らしていて、どちらにも偏っていない調和のある感じです。
でも人々には、家族とか、家や自宅、といった枠組みや所属みたいなものが感じられません。
家の中でくつろぐという感覚がなく、木の根元に腰を下ろして安らいでいる感じです。とてもおだやかでのどかな気候が当たり前に続くんです。
そして働いていません。そもそも働く、という概念がありません。
それを見て中学生の私でさえ、
え?なに?まさか働かないの?働かないなんてそりゃー無理だろ!!どうやって暮らすんだよ??
と、その映像を解せないと思いながら見ていました。
お金!!お金はどーすんの?!
社会や経済、回っていかないよ?!
と、セーラー服の中学生だって、わかります。
だから、映像が教えてくることに、なんかすごく引っ掛かりが多くて、飲み込みたいのに飲み込めない!!という、喉に何かが詰まった感覚で見ていました。
今にして思えば、その時にはまだAIっていう考え方が一切なかったから、理解できなかったんだ!と思いました。
AIっていう考え方を持ち込めば、この辞書の上に広がった目の前の映像を、理解することが出来ます。
それから映像では、 自分以外の人間がすぐ近くにいても、お互いに会話することがまったくありませんでした。
あっ!テレパシーだ!
と思いました。でも、テレパシーでもなかったんです。
お互いを認めて理解しあっているから、あえて意思の疎通なんてもう要らない様なんです。テレパシーさえ要らなくなっているんです。
当然社交辞令も、お互い認識してるよ!という目くばせもサインも挨拶も一切ない。
今の私たちからしたら、お互いに無関心で無視しあっているようにも見えちゃいますが、深く深く認め合っているから警戒することがないので、それを和らげるボディーランゲージさえ不要なんです。コミュニケーションさえ重いことであって、不要なんです。
だからこそ、そこは穏やかで音がなく、幸せが隅々まで充満した空気感で、リアルな映像がまるで、パステル画のように見えてしまうんです。
今の私たちには絶対に必要で欠かすことのできないと思っているものが、ことごとく不要になって、その存在さえなくなっているんです。
私はこれを見た中学生の頃から、度々この映像のことを思い出してきましたが、その度に、
こんなの絶対無理だよな。
と思ってきました。でも、ここ数年の進歩・進化で、
ホントかも?!
と思うようになりました。
だって、肉体にマイクロチップを埋め込んじゃう日が、もう実際にやって来たんですから!!
本当に、AIという言葉を目にするようになってから、すべて、なるほど!!と腑に落ちるようになってきました。
AIを、自分たちにプラスに働くように理解すれば、仕事が奪われてしまうっていう心配も、ベーシックインカムって非現実的じゃない?という現実も、だだの固定観念にすぎないと思えてきてしまいます。あっという間に、今までの当たり前が、反転しそうです。
携帯も当たり前になり、リニアモーターカーも本当になったし!!
私が19歳の時、友達の大学でリニアモーターカーを調べてくるっていう課題がでて、
きゃた子、知ってる?
って聞かれて、
モーターカー?何それ、車?
ううん、新幹線みたいのなんだって。
だったら新幹線でいいよね??
でも、もっと早いんだって。
はあああ?????
っていう、どうしようもない会話をした記憶があります。
そのあと二人で本屋さんに行って資料になる本を探したのですが、リニアのリの字も置いてなかったです。
今なら、まっしぐらにパソコンを通り越してスマホで調べますが、その頃はだって、ねええええ、そんなのありませんから。資料と言ったら、紙です、紙!!
ここにきて更に、技術も人間の感覚も、進歩が目覚ましいです。
行きつく先は、本当に桃源郷かも。
今の私たちにしてみたら仕事でも、その頃には本当に自由だから、それは楽しみの一つになっているのかもしれません。
もう今すでに、小学生のなりたい職業ランキングに、ユーチューバーがトップテン入りしていますしね。
ちょっと前まではありえないって思っていたことが、どんどんすごいスピードで当たり前になっています。
私もビックリする程、すんごいスピードで歳をとっていますが、
でも、こうやって年をとればとるほど、
かつて見た様々な映像の答え合わせが出来て、
ああっ!!なるほど!!
って思えることが増えて、とても面白いです。