脚立の日記

きゃたつのにっき

それは、開かれることのない本です。

今週のお題「読書の秋」

 

こんにちは。脚立です。

 

今日は、

未来的な場所に暮らすその人たちの持っている本は、開かれることがない。ということについて書こうと思います。

 

時々、ふっとしたきっかけで、見えるはずのないような映像を、昼間の現実のさなかに見ることがあります。

これもそうして見た映像の一つです。もう随分前のことです。

けっして、中二病がやめられないわけでは、ないんですよ。たぶん、本当に。。。

 

その(未来的に見える場所の)人たちのことは、「答えはボディハッキング」というタイトルでも書いたことがあります。

私たちとは、ちょっと違う暮らしぶりの人たちです。

彼らのコミュニケーション方法は、あえて言うなら無音です。テレパシーをも超えてしまっています。

彼らにとって、会話、ボディランゲージ、テレパシーなどの、他者とのコミュニケーションそのものが、重いのです。

なぜなら、お互いを、深く深く信頼しあっているからです。

互いの意思を伝えあい、確かめ合うコミュニケーションは、意味のないことなんです。信頼の意味が深いので、そこには警戒がまったくありません。

相手の警戒を解く必要がありません。なのでコミュニケーションは逆に重いことなのです。

それは、今の私たちにしてみたら、彼らはまるで、無視をしあっているように見えてしまいます。でも彼らにしたら、自分は完全に自由だし、そして他の人も完全に自由なんです。

自由は権利、という印象がまったくありません。とても穏やかで、あたたかい。それが彼らから感じる自由です。

そこには、一切の枠組みがありません。

なので静かで、ゆったりした空気感です。

気候も、精神も、安定しています。

いつでもリラックスしているので、人目を避けて建物の中で寛ぐというイメージがなく、むしろ大地に生える立派な樹木の足元に腰を下ろす事こそが、寛ぎだったりします。

そこは街中なのですが、でもその街路樹は地球の大地に生えているというより、そもそもその街全体が、どこかのスペースにある、というイメージなんです。

居住スペースは、建物という個々のものではなく、大きなひとつのスペースに、すべてが収まっているイメージです。

そこは都会と大自然が上手く融合した清々しい所です。

決して作り物のイミテーションではありませんが、でも、なんだかジオラマちっくには見えます。。。

どうしてかというと、生々しさがなく、とても理路整然としてすべてがシンプルに見えるからです。

 

この先を、もっと広く見ようとするのですが、それ以上視点を広げることが出来ず、狭い範囲に集中してしまって、そのまま映像の意味が固まっちゃうんです。

、、、私自身に理解力が足りないと、こうやってあいまいになってしまいます。

その映像に鮮明な情報がふんだんにあっても、溢れる情報量が私によって堰き止められてフン詰まってしまいます。

飲み込みたいのに飲み込めない状態になって、度々残念な思いをすることもあります。

 

彼らの住む場所では、人がその場に複数いて、たとえお互いが近くに接近したとしても、自分のペースは崩れません。

そして、

。。。彼らは手に何か持っているな、ああ、本なんだな。本を一冊、手に持っているんだな。あれ?でも、その本は開かれることがないのか。。。

 

それは、読むために持っているんじゃない、と伝わってきます。

でも、なんでだろう?それは、どういうことだろう?,,,と思って見ていると、

ああ、そうか。その本は、知性なんだな。と、わかります。 

後々になってから、それは私に理解しやすいように、本という形で見えたのかも、、、と感じました。

 

 その本(知性)は、実際には、それぞれの内側にあるんです。内在しています。

彼らの疑問は、質問として自分の内側に向けられます。

今の私たちのように、自分の解らないことをスマホやパソコンや書物などを通して答えを得ません。

自分の答えを自分の外に、他者を頼って他者の中に探す様なことはしません。

自分以外のものを、自分のために利用することがありません。他者を利用しません。

有り余るほどあふれる自分の内側から、答えを得ます。

なので疑問は無く、質問と答えがあります。

 質問と答えは揃って、自分の内側に存在しています。

なので、疑問や悩みというものはありません。

 

自分を知るのに、他者は必要ない。

自分の内側で、本は常に開かれている。

開かれない本、という象徴的な形には、もっと色々な意味があるのを感じます。

けれど今現在でも、まだ私自身は、それを100%理解することが出来ないままです。

秋も好き。

今週のお題「紅葉」

 

高1の夏休み前に仲良くなって、それからはほぼ毎日のように一緒に過ごしていた女友達が、高2になったある日、

 

「えー!!友達の中で、私が一番大切じゃないの??」

 

と、私に向かって,大きな声で言った。その鮮明な記憶がある。

 

どんな話の流れから、そう言われたのかは忘れてしまったけれど、彼女を真正面にとらえた映像から始まるこの出来事は、今でもよく覚えている。

 

私は心の中で、大切だよ。だけど、、、と思った。

でも実は、なぜか彼女の言っていることが、私には今一つピンときていなかった。

そして、

「みんな、大切だよ」

と、ありのままの気持ちを返答じたら、その友達の横顔が歪んだ。

でもその時、私の中でも、

バリバリっという音が聞こえて、何かから引きはがされてしまっていた。

一度引きはがされたら、それはもう、二度と元に戻らなかった。

 

無意識。無自覚。

その瞬間までは私自身が、何というか、思いやりそのものだったんだ。

でも、友達のその言葉で、私のモノの見方が増えて、そのことに気が付いてしまった。

思いやりって、私が選んだ誰か、特定の個人に対して、意図的に持つ感情なんだってことを初めて意識した。

一度意識したら、もう元には戻れなかった。進むしかなかった。

私は、思いやりそのものではなくなった。

私は、思いやりを使えるようになった。

 

やがて青春時代は終わり、私は結婚して子供を二人産んだ。

そこで初めて、守る、という感情を知った。

それまでは、無防備だった。自分と他人を分ける感覚が薄かった。

でも、自分の子供が生まれたら、とたんに色々なものに順位が付いた。

 

娘が三歳で、息子が生れたばかりの頃、お隣に小学校二年生と三歳の姉妹が住んでいて、よく一緒に遊んでいた。

ある日、その姉妹が我が家に遊びに来て、ひとしきり楽しく過ごした後に、お姉ちゃんの方が突然、私の真正面に立って、

「この4人の中で、誰が一番好き?」

と、私を見上げた。

四つ歳の離れた年長者である姉という立場は、幼いといえども色々と大変なんだな、、、と思った。

けれど正直、なんでそんな当然のこと聞いてくるんだろうと、返答に困り、内心あきれてもいた。

そしてそれは、いつまでも消化されずに、後味の悪い感情としてしばらくの間、私の中に残った。

こうしてどんどん、私は、今までとは何かが違う感覚を抱えて生きるようになった。 

 今振り返ってわかるこの後味の悪さは、小学二年生のお姉ちゃんの思考回路に対してではなく、自分の思考回路の変化に対する違和感と嫌悪感だったんだな。

 

純粋って、強い。最強だ。

手放すのはもったいない。いつまでも手放さずにいられたらいいのに、とおもわず祈ってしまいそうになる。

でもそれは、いずれ必ず壊れる。

壊れたら次は、一から自分の意思で再構築していかなければならない。

それは想像以上にとても骨が折れる作業で、しかもその作業はたいてい生涯続く。

どう成長していけばいいのかは学校で習ったり、大人がうるさいほど語ったりするけれど、その先の、どのようにして歳を取って、さらに老いて行けばいいのかは、誰にとっても未知の領域、 未開の領地だ。

正解は無く、常に手探りで、完全に自分だけのデザイン。はじまりの時ほど、終わりはみんな一緒じゃない。

歳を取ること・老いを完成した人はここにはいないのだから、歳を取ること・老いを正しく教えられる人はいない。

 

今の私は確かに、あのころのような初期装備ゆえの最強さは失ったけれど、でも今度は、それを補うための柔軟さを手に入れつつあるんじゃないかなと思う。

なぜなら、純粋無垢な透明さが壊れるのは、必要不可欠で重要なプログラミングなんだ、と思えるようになったから。

壊れたからこそ、今までとは違う新しいカタチを見ることが出来る。

骨が折れる作業だけれど、そこには味わいがある。

 

その女友達とは、お互いに生活環境が変化して、以前のように頻繁には会わなくなったけれど、元気に暮らしていることは知っている。

感情豊かな彼女には、高校を卒業した後も続いた長い付き合いを通じて、本当に多くのことを学ばせてもらった。とてもとても感謝している。

死を悲しむのは、生きている証拠。

 

こんにちは。脚立です。

 

早速ですが、今日は、

 

人間が死を悲しむのは、生きている証拠。

 

ということについて、書こうと思います。

 

書くのに、ちょっと勇気が必要なのですが.。。。

 

 

私が今までに出会った死んでいる人たちは、誰一人として、生きている人間のような死の悲しみ方をしていませんでした。

 

会えなくて悲しい。

 

とか、

 

もう一度、会いたい。

 

とか、思う人はいません。 あちらからは、こちらがすっかり見えているのでしょうか?

 

こちらは、会いたいのに。まだ、ここに居てもらいたいのに。こちらからは、一切見えませんから。。。通常。

 

でももっと、私の本心をまっすぐ書くとすれば、

 

生きている人間が死を悲しむのは、生と死をすごく分けて考えているから。

 

死の悲しみは、生きている人間だけのもの、と思っています。

 

 

あちらから、なんやかやと相談されることもあったのですが、あちらの人はすぐ本題に入ってくるので、こちらから私に質問をさせてもらえる暇がありません。【あちら=死んでいる人】

 

結構相談してきます。あちらの人。。。

 

皆さん死んでしまうと、どうやら、死は、悲しいものではないようです。

 

でも、助言したい!、伝えたい、見守りたい、と思う人は沢山います。むしろこちらに助言したいから、見えっちゃったり、聞こえちゃったりするようです。

ただ、悪気がないのはわかっているのですが、正直言って、助言したい!と思う人って結構強烈で、生きていた時はこの人、ずいぶん過保護タイプだったんじゃないかな?と思わせる印象で、すごく押しが強くグイグイ来ます。

それから、いたずら好きも多いです。どういう訳か暇なのかわかりませんが、生きている人にちょっかい出したいみたいです。

死んでも、個性や性格の違いははっきりあります。

 

そうはいっても、死んだ人たちは、自分のことよりも、子供や孫やもう少し遠い所縁のある子孫のことを思っています。生きていることを、応援してくれています。本当に見返りなく。無償の愛、って感じです。

 

沢山はあったことはありませんが、すごく昔にちょっと順当とは言えない死に方をした人たちも、悲しいというより、苦しいことが思いの中心です。苦しい、っていうことから逃れたい、離れたい、どうにかしてほしいという気持ちが強いようです。

 

そういう苦しんでいる人の声って、聞こえても、心が開かれていなくって、私に向かって言っている感じがしません。え?それ今、私に言ったの?という感じです。

 

以前、私が引っ越すときに、

 

連れてってえ~。

 

と言われたこともあるんですが、連れていけるほど近くにいる感じがしませんでした。地面の奥深くから聞こえてくる感じです。

 

それに対して、上の方からだったり、私たちと同じような立ち位置にいて気持ちを伝えてくる人は、今の自分に納得している人たちのようです。

上とか横とかの見え方聞こえ方の違いは、それぞれの亡くなってからの日数によって違いがあるように思います。

亡くなって10年位だとはっきり見えるのですが、それ以上だと、雰囲気はわかるのですが、だんだん思っていることだけが、そこにあるようになってきます。

その人自身が、自分の姿かたちに思い入れが薄れてくるのか、思っていることや意識だけがその人そのものになるようです。

 

ようは、どうやって死んだかということより、死んだ自分に納得しているかどうかで違ってくるようです。いわゆる、過去より今ってことなんでしょうか?でもほとんどすべての人が、死んでみれば、生きていた時納得できなかったことも色々理解できるみたいで、しぜんと自分に納得がいくようです。どんな死に方をしても死んでまで苦しんでいる人って、そうそういません。どんな個性であろうと性格であろうと、みんなから優しい温かさを感じます。

 

そういうのを見ていて思うのは、もし苦しいことを抱えていたら、それを解決しようとするより先に、一度思い切って、その場で脱力しちゃうことかな?って感じます。解決しようとしすぎると苦しいことばかりが見えて、どんどん楽しい気持ちが先の方に遠のいてしまいます。

 

今までずっと変えずに思っていた事や、考えていた事を、少しだけ横にずらしてみたり、一瞬、手足を止めてみたり、そういうことが出来たらいいのかな?と思います。

 

死んでも苦しんでいる人って、苦しすぎて、こっちの言ってることが全然伝わらない感じです。溺れているときみたいに、です。

 

もしかして、日本に限らず世界中で、死んだ人をお経や讃美歌や民族楽器とかで送るのは、そのリズムや歌でふわふわっといい気分にさせようっていう思いからなのかな?

だとしたら、上手いこと出来てるな。。。

最も早い回復方法。

 

 こんにちは。脚立です。

 

ロッキンジャパンを見るために、WOWOWに加入しているのですが、その放送は秋なので、最近まですっかり関心が薄れて放置していましたが、加入していて良かった!

 

わざわざ汗をかいてつらい思いをするのは好きじゃないので、スポーツは苦手なのですが、どういうわけかテニスには、爽快感を感じることが出来るんです。

 

なので日曜日の朝、全米オープン女子シングルス決勝をWOWOWで見ました。

 

二度寝の後、なんとなくつけたら、やってたのです。

 

試合は確かに、荒れた展開とも言えましたが。

 

それでも、良い試合、良い人たち。

 

選手、主審、観客、

 

やるべきことをやって、言いたいことを言う。

 

その場にいたら、それぞれに、いたたまれないような気持ちがあったかもしれないけれど、画面を見ていた私には、不思議とその場の一体感が感じられました。良くなっていく方向性しか感じられなかったです。

 

 

この試合を見た後、ふと、

 

心を痛めるような出来事に遭遇した時の、最も早い回復方法は、むしろ、その場面にしばらくじっと留まって再考することなんだな。

 

と思いました。 

 

嫌なことに遭遇した時、早く、そのことを忘れようとします。

 

惜しみない努力は、一刻も早く忘れること、その場から立ち去ること、その一点に注ぎますが、実際は一向にそのことから気持ちが離れず、ようやく不快な気分が去ったかな?と、思ったと同時にまたやって来てしまいます。

 

 自分、すべての登場人物、それぞれになりきって考えたり、毒づいたり。色々なパターンの結果の行程をシュミレーションしてみたり。いろんな角度から眺めていると、溜飲が下がる瞬間が、不思議と思いのほか早くやってくる。

 

早くその場を立ち去ろうとするより、その時に思い切って深く潜った方が、短期間で離れられて、しかも二度と嫌な気分でそのことを思い返さない気がします。再び思い返すときは、自分の知恵として思い返せるような気がしました。

 

 私自身も、数日前にあった、ほんとーに些細な心の引っ掛かりを、じっと考えていたところだったので、より自分のことのように思えたんです。

 

とはいっても、私の日常生活と全米大会のプレッシャーとを同列にしては、おこがましいですね。

気分良く。

 

  どうやって生きればいいのか、

 

と考えはじめたのが、そもそもの落とし穴だったんだ。

 

と、今ならわかる。

 

とても漠然としているので、なかなか納得できる答えが思いつかないで、そのままズルズルと、どうやって生きればいいのか?と、考え続けた。

 

考え続けた期間は、“若い”間はずっと、だった。

 

かつての私の思いや脳みの片隅にはいつも、どう生きればいいんだろう?という気持ちがチラチラしていた。

 

 

でもそれの答えは単純だった。

 

気分良く、生きればいいんだ!

 

失敗と後悔と納得と理解を繰り返して、私の答えは、ただこれだけ。

 

これ以上の名案はないと思う。

 

 

でも、すぐに、

 

気分良く生きるにはどうしたらいいのか。

 

という疑問が、どこからともなくわいてくるけれど、もう、大丈夫。

 

だって、気分よくいる、っていうのがラスボスなんだから。

 

ただそれ一点だけを思って、自分が気分良く生きる工夫をする。

 

他のことが起こったって、さして気にしない。

 

その工夫の積み重ねが、生きるってことなんだな。

 

むしろ今は、生きるとか、人生とかいう言葉より、

 

毎日の生活・暮らし、という言葉の方が、私にはしっくりくるようになった。

 

 

どうやって生きればいいのかわからない、という思いが強い頃は、

 

そもそも、自分がどういう気持ちで生きたいと思っているのかが、わかっていなかったんだ。

 

どうせ考えるなら、自分がどうしたいのか、どんな気持ちでいたいのか、そういうことを考えれば良かったんだな。うん、了解。

海辺の近くに住んでいました。

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こんにちは。脚立です。

 

毎年夏になると特に、海辺の近くに住んでいた頃のことが、とても懐かしくなります。

 

今年ハタチの娘の茶柱は、二歳半から小学校入学までの4年間を、その町で過ごしました。弟の八兵衛は、そこで生まれました。

 

旦那さんはがんばって、毎日ほぼ始発に乗って会社に通っていました。

 

けれど、そんな大変な思いをしても、毎朝駅のホームから、朝日に照らされる山々を見るのが清々しくて好きだった、と今でも言っています。

 

みんなそれぞれ、良い思い出がある町でした。

 

私にも、とても暮らしやすい町でした。

 

買い物は遠いし、コンビニは近くに無いし、坂ばっかりで自転車は使えないし、浜辺の砂が洗濯物につきまくりで、家の中まで入って床がジャリジャリになるけれど、とても暮らしやすかったです。

 

それは何故なら、見えないものが当たり前に見えてもいい町だったからです。

 

どうやらここでは、そういうことが起こるのはウチだけじゃなさそうだ、ということに気付き出したきっ掛けがありました。

 

娘の茶柱が幼稚園の年少になってしばらくした頃、帰宅してちょっと興奮ぎみに、

 

あそこの黒い壁に、目が、目が!!

 

と言うのですが、まだちっちゃかったので、話がだんご状態で口から一気に飛び出すので、さっぱり意味不明です。

 

要約すると、幼稚園の園バスで通るトンネルの暗い壁に、目がいっぱい見えるんだそうです。お友達の中にも、見える子がいた!と言うんです。

 

そこで次の日、茶柱はもしかして、ペンキか何かで書かれた絵のことを言っているのかな??と思った私は、事の真相をはっきりさせようと園バスの付き添いの先生に聞いてみました。この先生は、かつてこの幼稚園の保護者でもあった地元のベテランママさんです。

 

すると、先生は、

 

あ~、あそこの隧道ですねえ~。あそこの壁に目が沢山見えるっていうお子さん、結構いるんですよ~。

 

とおっしゃいました。しかもあっさり。

 

でもまだ???な私は、

 

人の目、ですか?

 

と聞いたら、

 

人の目です!!と。

 

どうやらこれは珍しいことでもない、あるあるの話でした。

 

さらにそれは、この隧道だけに限ったことではありませんでした。

 

弟の 八兵衛が家のトイレを開けっ放しにしてりきんでいると、必ず八兵衛の目が右から左に泳いで誰かを追っているようだ、という話を友達のママさんにすると、

 

あ~、うちも彼らの通り道があるよ~。うちは玄関からリビングの横のライン。

 

という返事が当然のように返ってきます。

 

それから、

 

夕飯後のお茶を、食卓を囲んで飲んでると、3人兄弟の3歳の末っ子が、

 

なんでこのおじさんには、お茶をあげないの??

 

って言うのよ~、というお宅もありました。

 

このお宅は家族が多く、食卓の椅子がベンチ式なので、このおじさんは一緒に並んでニコニコ座っているんだそうです。

 

この町では、こういう話は日常的に話され、こういうことが当り前の上に暮らしています。

 

この町に暮らしていると、私自身も今まで以上に見えないはずものを見たり、聞こえないはずのものを聞いたりする頻度は格段に上がりましたが、みんながそうなのでとてものびのびと暮らせる場所でした。

 

 

 あれから10数年たった今、私の身長を越してしまった茶柱と八兵衛に、

 

ふたりとも、あの町でこんな不思議な事、言ってたよね!

 

と、思い出話に花を咲かせようとしても、私を中二病患者を見るような、いたわりの目で見るだけで終了してしまいます…。ハハハハ、ハハ…。

答えは「ボディハッキング」。

 

こんにちは。脚立です。

 

 

突然なのですが、

 

うちの家族は、誰もテレビを見ません。

 

娘も息子も私も、アニメはパソコンで見ています。

 

旦那さんは、アニメも見ませんが、野球もサッカーもオリンピックも関心がありません。

 

私が子供の頃は、

 

リモコン取って~!!

 

といえば当然、テレビのリモコンのことでした。

 

でも今、我が家でリモコンと言えば、

 

エアコンのリモコン、のこと以外の何物でもありません。

 

 

いつもは見ないテレビ なのですが、

 

5月の終わりに、

 

超最先端の身体改造「ボディハッキング」とは?

 

という内容のテレビ番組を、途中からでしたが偶然見て、

 

あっ!!と思って、

 

慌てて録画しました。

 

それ以前にも、ネットニュースで、

 

体の中にマイクロチップを埋め込む、

 

というのを読んで、

 

あっ!!

 

と、衝撃を受けたことがありました。

 

二つも目にすると、さすがに、

 

いよいよ本当にそうなるんだな・・・

 

と、思わずにいられませんでした。

 

 なぜなら以前、私も、

 

耳の後ろにチップみたいなのを埋め込んで、それは電話のように使われて、固定電話のみならず、携帯電話なんていうのも必要なくなる。手で持たなくても体に入っているので、携帯する必要がないから。

 

そしてゆくゆくは、そういうチップさえ必要なくなって、何もない状態、いわゆるテレパシーで人は意思の疎通が取れるようになる。

 

という映像が、突然、自分の目の前に広がったことがあったからです。

 

私の感覚からしたら、目の前に映像が広がった、という表現が正しいのですか、

 

でも一般的にはきっと、私の頭の中に見えた、と言った方がいいんでしょうね。。。

 

こういうのを、白昼夢っていうのでしょうか??

 

その映像を目にしても、そもそも私には色々な知識が足りなかったので、

 

そんなチップを人間の体内に埋め込むためには、一体どれだけ大掛かりな手術とその技術の向上が必要になるんだろう??

 

とか、

 

それが使えるようになるには、どれだけ人間の感覚が成熟しないとならないんだろう?

 

とか、

 

そうなるには、一体何百年かかるんだろう??

 

とか、

 

現実では到底ありえないSF的な感じでしか理解できず、へーそうなんだあ!と思うより、戸惑いの方が断然大きかったので、私はその映像が教えてくれることを十分には受け取ることが出来ませんでした。

 

今から約25年ぐらい前のことです。

 

まさかチップが、綿棒の先っちょより細くって、

 

まさか大掛かりな手術が、穴の開いた竹串みたいので、注射するぐらいの手軽さで済んじゃうとは、

 

あの時の私には、まったく思いもつかなかったです。

 

その映像を見たのは、私が情報通信業で会社員をしていて、自分のデスクに戻って椅子に座ろうと、背もたれに手を掛けた時でした。

 

まだ、IT企業という言葉はありませんでした。

 

時代も、社内メールの環境が整いだした、そんな頃です。

 

今から思えばメールの使い方ごときで、なんでわざわざ!!と思いますが、

 

全国の営業所から社員を一泊で出張させて、社員教育していました。

 

携帯電話はなく、出張に行く社員には、ショルダーホンを貸し出していました。平野ノラが肩から下げているヤツです。

 

でも、その一年後ぐらいに私は、社内販売で携帯電話を買いました。私の初めての携帯電話の端末はノキア製でした。

 

この時には気が付かなかったのですが、

 

実は、テレパシーよりさらに進んだ環境が、当たり前の日常になっている映像を、もっと以前に見ていました。

 

逆行するようですが、会社員の私より随分前の、中学二年になったばかりの私が見ていました。

 

 

クラスの友達が、

 

これ、読んで感想を聞かせて!!

 

と私の目の前に、仲間内で手作りした冊子を差し出しました。

 

今でいう同人誌です。イラスト、漫画、小説をそれぞれが持ち寄ってコピーして、本のようにめくれるようにホチキスで留めてありました。

 

表紙には、

 

桃源郷

 

と書いてありました。

 

私には初めて見る言葉でした。

 

読めませんでしたが、漢字の美しさにとても感動しました。

 

なんて読むの?

 

と聞いたら、トウゲンキョウだよ。と教えてくれました。

 

帰宅してすぐ、辞書を開いて、桃源郷を見つけました。

 

そうしたら、その辞書の上に、突然、映像が広がったんです。

 

はじめは、静止画かな?と思いましたが、

 

いや違う、動いてる!ということにすぐ気が付きました。

 

動画を静止画と見間違うぐらい、ゆっくりと穏やかで、音のない静かな環境でした。

 

 印象としては、淡いパステル画のようでした。

 

近代的な印象がある反面、同時に豊かな自然の中で暮らしていて、どちらにも偏っていない調和のある感じです。

 

でも人々には、家族とか、家や自宅、といった枠組みや所属みたいなものが感じられません。

 

家の中でくつろぐという感覚がなく、木の根元に腰を下ろして安らいでいる感じです。とてもおだやかでのどかな気候が当たり前に続くんです。

 

そして働いていません。そもそも働く、という概念がありません。

 

それを見て中学生の私でさえ、

 

え?なに?まさか働かないの?働かないなんてそりゃー無理だろ!!どうやって暮らすんだよ??

 

と、その映像を解せないと思いながら見ていました。

 

お金!!お金はどーすんの?!

 

社会や経済、回っていかないよ?!

 

と、セーラー服の中学生だって、わかります。

 

だから、映像が教えてくることに、なんかすごく引っ掛かりが多くて、飲み込みたいのに飲み込めない!!という、喉に何かが詰まった感覚で見ていました。

 

今にして思えば、その時にはまだAIっていう考え方が一切なかったから、理解できなかったんだ!と思いました。

AIっていう考え方を持ち込めば、この辞書の上に広がった目の前の映像を、理解することが出来ます。

 

それから映像では、 自分以外の人間がすぐ近くにいても、お互いに会話することがまったくありませんでした。

 

あっ!テレパシーだ!

 

と思いました。でも、テレパシーでもなかったんです。

 

お互いを認めて理解しあっているから、あえて意思の疎通なんてもう要らない様なんです。テレパシーさえ要らなくなっているんです。

当然社交辞令も、お互い認識してるよ!という目くばせもサインも挨拶も一切ない。

今の私たちからしたら、お互いに無関心で無視しあっているようにも見えちゃいますが、深く深く認め合っているから警戒することがないので、それを和らげるボディーランゲージさえ不要なんです。コミュニケーションさえ重いことであって、不要なんです。

 

だからこそ、そこは穏やかで音がなく、幸せが隅々まで充満した空気感で、リアルな映像がまるで、パステル画のように見えてしまうんです。

 

今の私たちには絶対に必要で欠かすことのできないと思っているものが、ことごとく不要になって、その存在さえなくなっているんです。

 

 私はこれを見た中学生の頃から、度々この映像のことを思い出してきましたが、その度に、

 

こんなの絶対無理だよな。

 

と思ってきました。でも、ここ数年の進歩・進化で、

 

ホントかも?!

 

と思うようになりました。

 

だって、肉体にマイクロチップを埋め込んじゃう日が、もう実際にやって来たんですから!!

 

本当に、AIという言葉を目にするようになってから、すべて、なるほど!!と腑に落ちるようになってきました。

AIを、自分たちにプラスに働くように理解すれば、仕事が奪われてしまうっていう心配も、ベーシックインカムって非現実的じゃない?という現実も、だだの固定観念にすぎないと思えてきてしまいます。あっという間に、今までの当たり前が、反転しそうです。

 

携帯も当たり前になり、リニアモーターカーも本当になったし!!

 

私が19歳の時、友達の大学でリニアモーターカーを調べてくるっていう課題がでて、

 

きゃた子、知ってる?

 

って聞かれて、

 

モーターカー?何それ、車?

 

ううん、新幹線みたいのなんだって。

 

だったら新幹線でいいよね??

 

でも、もっと早いんだって。

 

はあああ?????

 

っていう、どうしようもない会話をした記憶があります。

 

そのあと二人で本屋さんに行って資料になる本を探したのですが、リニアのリの字も置いてなかったです。

今なら、まっしぐらにパソコンを通り越してスマホで調べますが、その頃はだって、ねええええ、そんなのありませんから。資料と言ったら、紙です、紙!!

 

 

ここにきて更に、技術も人間の感覚も、進歩が目覚ましいです。

 

行きつく先は、本当に桃源郷かも。

 

今の私たちにしてみたら仕事でも、その頃には本当に自由だから、それは楽しみの一つになっているのかもしれません。

 

もう今すでに、小学生のなりたい職業ランキングに、ユーチューバーがトップテン入りしていますしね。

 

 ちょっと前まではありえないって思っていたことが、どんどんすごいスピードで当たり前になっています。

 

私もビックリする程、すんごいスピードで歳をとっていますが、

 

でも、こうやって年をとればとるほど、

 

かつて見た様々な映像の答え合わせが出来て、

 

ああっ!!なるほど!!

 

って思えることが増えて、とても面白いです。