脚立の日記

きゃたつのにっき

口から漫画の吹き出し。💭

こんにちは。脚立です。

 

 

突然ですが、

 

誰でも、不思議な経験をしたことが、一度や二度はあるんではないかな??と思います。

 

ざっくり切って、ぱっくり開いた傷だって、だんだん小さくなって、そのうち消えてしまうんだから不思議です。

 

だけど、

 

なにいってんの、そういうもんだよ、と思って見れば、不思議でも何でもありません。当たり前のことです。

 

私もたまーに、あれ??不思議だなあと、ありえないと思うようなことが見える時があります。

 

より不思議だと思うのは、目の前にないはずのものが見えることより、案外、目の前にいる生身の人に起こった、ありえないこと、を見たときです。

 

私は大人なので、それを口に出すことはめったにしません。口に出すときは、とても慎重になってしまいます。

 

ですが今日は、

 

そもそも気が付かないだけで、不思議なことは、日常には溢れるように起こっているのが当たり前なんじゃないかな?

 

ということについて、書こうと思います。

 

 

私が、その人に会うのは二度目でした。

ある会社の営業の方で、我が家の担当さんの上司です。

優柔不断な我が家の決断を促すためなのか、久しぶりにお会いすることになりました。

挨拶を交わして、暫くはその上司の営業トークに耳を傾けていたんですが、急にキーンと耳鳴りが始まったかと思うと、まわりの音が止まって、私の耳には音が一切聞こえなくなりました。

私は真空管の中か、海の底にいるような状態になりました。

でも目の前では、上司の人が私の変化なんて感じる様子もなく、それまでと同じようにしゃべり続けています。私は消音の映像をただ見ていました。

 

すると、その上司の口から、白い煙が出始めました。

 

その煙は、上司がしゃべればしゃべるほど、モクモクと彼の口から出続けて大きくなり、やがて雲のようにひと塊になりました。

上司の人の左側に、頭のてっぺんからお腹位にまで細長く大きくまとまった形が、まさしく、

 

漫画の吹き出し!!💭

 

でした。すると、今度はそこに、黒い太めの活字で、

 

対人関係に悩んでいる。

 

と縦書きの文字が浮き上がって見えました。

 

私は引き込まれるように見ていたのですが、はっと我に返り、この状況をどうしたらいいんだろう?と、内心、ヤバいと焦り始めました。

すると唾を飲み込んだら耳ぬきがうまくいき、ようやく音が聞こえ、それと同時に、漫画の吹き出しも見えなくなりました。

こんなことは、後にも先にも初めてのことでした。

 

その後、私は何事もなかったように冷静を装い、上司はまだ私に購入の意思があるとわかると、一通りの社交辞令を終えて退席しました。そのまましばらく担当さんと雑談をしていたので、私は思い切って、彼は対人関係になんか悩みでもあるの?と聞いてみました。そうしたら、

 

実は最近、上司は離婚したばかりなんです。だから、離れて暮らすことになった小さな息子と滅多に会えなくなる。さらに、両親が住むためのマンションを自分が買うことになって、それがわりと一等地の物件で大変なんです。

 

という話を聞いて、私はそれでひとり合点がいき、胸の内で自分の膝を叩きました。

上司は今まさに、ダブルパンチ、トリプルパンチ、を受けた状態なんだな。

だから、口を開く度に腹にたまったものが外に溢れてしまうんだな、と思いました。

 身内のことだと、なおのこと、飲み込めないことでも飲み込もうとしちゃうのかもしれません。

 

さらに上司の人は、急にマッチョ系のジムに行き始めたんだそうです。

それを聞いて、きっとジムに行って体を動かして、雲を蹴散らして気持ちを切り替えようとしているのかも、と思いました。

人間て、無意識に自分で道を切り開いていくもんなんだな、と感心しました。

 

それで私は、車でスキー場に行った時のことを思い出しました。

最初は視界良好だったのに、山を上がれば上がるほど徐々に霧が濃くなって、スキー場につく頃には、これは霧じゃなくて雲の中にいるんだね!!ということがありました。

雲の中に入ってしまうと、もう自分たちのいる車内しか見えなくなっていました。

でも、昼頃に太陽の日が差し始めれば、あっという間に辺りの厚い雲は切れて、見晴らしはだいぶよくなりました。

 

だから彼の横にできた漫画の吹き出しは、それ以上大きくなって彼を包み込んでしまうことなく、そのうちどこかへ行ってしまうかも、と思いました。

 

 

たまに、今はあの人のそばに近寄りたくない。とか、ここまで来たけど急になんだか気乗りしなくなった。とか、言うことがありますが、きっとそこには見えないけれど、煙や雲があるのかもしれません。

 

反対に、 何故か今あの人に声をかけてみたい。と、思うこともあります。そこには、温かい温風が吹いているのかもしれません。

 

私にはかつて、温風の方の経験もありました。

幼稚園の保護者会の役員をしていたとき、話し合いの雰囲気が険悪になりかけたことがあり、嫌だなと思って、ふっと目をそらして教会の礼拝堂の十字架を見たら、急にとても優しい温風が顔面にブオオオっと吹いてきて、そこからみんなの気持ちが歩み寄って、良いアイデアが出て無事に会を終えることができた、ということがありました。

息子の八兵衛が通っていたのは、教会付属の小規模な幼稚園でした。小さな教会なので会議専用の部屋はなく、礼拝堂の端っこを使って集まっていたので、十字架はいつでもバッチリ目に入りました。

私は、みんなで集まってお祈りをしたりするようなことに、まったく興味も関心も持てません。それなのに温風を頂いちゃって、すいません…。

でもその温風は、とても心地が良かったです。わんこになって、洗ってもらった体をドライヤーで優しく乾かしてもらってる、みたいな幸せな気分でした。

 

窮地に追い込まれて困ったときに、溺れる者は藁おも掴む状態になって、普段信じている当たり前が逆転して、見えないものが見えて、感じないものを感じるんでしょうか?

 

普段見えないのに、急に見えてくるんだから、やっぱり普段から不思議なことは当たり前にそこにあって、何かのきっかけでボタンを押しちゃって、うわーっと、幕が上がってそれを見る、そんなような気がします。

 

 自分の焦りが収まると幕も閉じる。だけど閉じた幕の向こうでは、いつでも、不思議な出来事が不思議じゃなく、日常的に淡々と起こっているんじゃないかなと思ったりします。

 

見えないっていうだけで、本当は私たちはいつも、煙を吐き出したり・受け取ったり、厚い雲をまとったり・まとわりつかれたり、温かい温風を出したり・受けたりして、暮らしているんじゃないかな、なんて思います。

 

もし、いつも、自分が出しているすべてのものが見えたら、もっと丁寧に、自分が出すものを選ぶのに。

 

そうしたら、八兵衛の忘れ物にも、私の頭の角が飛び出さないんだけどな。

 

でもなかなか、そうもいかない!!

 

と、大人の部分の私が言っている、今日このごろです。