脚立の日記

きゃたつのにっき

気分良く。

 

  どうやって生きればいいのか、

 

と考えはじめたのが、そもそもの落とし穴だったんだ。

 

と、今ならわかる。

 

とても漠然としているので、なかなか納得できる答えが思いつかないで、そのままズルズルと、どうやって生きればいいのか?と、考え続けた。

 

考え続けた期間は、“若い”間はずっと、だった。

 

かつての私の思いや脳みの片隅にはいつも、どう生きればいいんだろう?という気持ちがチラチラしていた。

 

 

でもそれの答えは単純だった。

 

気分良く、生きればいいんだ!

 

失敗と後悔と納得と理解を繰り返して、私の答えは、ただこれだけ。

 

これ以上の名案はないと思う。

 

 

でも、すぐに、

 

気分良く生きるにはどうしたらいいのか。

 

という疑問が、どこからともなくわいてくるけれど、もう、大丈夫。

 

だって、気分よくいる、っていうのがラスボスなんだから。

 

ただそれ一点だけを思って、自分が気分良く生きる工夫をする。

 

他のことが起こったって、さして気にしない。

 

その工夫の積み重ねが、生きるってことなんだな。

 

むしろ今は、生きるとか、人生とかいう言葉より、

 

毎日の生活・暮らし、という言葉の方が、私にはしっくりくるようになった。

 

 

どうやって生きればいいのかわからない、という思いが強い頃は、

 

そもそも、自分がどういう気持ちで生きたいと思っているのかが、わかっていなかったんだ。

 

どうせ考えるなら、自分がどうしたいのか、どんな気持ちでいたいのか、そういうことを考えれば良かったんだな。うん、了解。