脚立の日記

きゃたつのにっき

分娩台で。

今週のお題「おかあさん」

 

 

こんにちは。脚立です。

 

初ブログです。

 

これからここには、「こんなことがあった。」という、

ただただシンプルなことを書いていきます。

 

 

さっそくなのですが、

 

脚立の娘が、もうすぐハタチになります。二十歳です。

 

私は初ブログだし、娘の茶柱は二十歳だし、

 

色々節目なので、茶柱を出産した時の、分娩台の上での出来事を書きたいと思います。

 

 

出産は、なにしろ初めてだったので、陣痛の痛さには相当焦りました。

 

 あまりの痛さに、

 

もう痛さにしか集中できません。

 

他のことはどうでもよくなります。

 

激痛に次ぐ激痛で、この先この痛さがどうなっていくのかまったくわからないまま、

痛さに翻弄され続け、激痛は時間を追うごとに、さらに底なし沼。

痛みは次々と激しい波になって私を簡単に飲み込む。本当に飲み込まれる。

陣痛は絶対王者でした。

 

出産予定日から二週間過ぎても陣痛が来なかったので、このままだと胎盤が劣化していくから産んじゃいましょうと出産の日が決められ、私は荷物を持って決められた日の朝に入院しに、病院へ行きました。

 

朝の10時ぐらいから処置が始まり、痛さは時間を追うごとに増していき、ずっとその痛さに耐えるばかりで肝心な赤ちゃんはなかなか生まれないのですが、必要な処置のために病室と診察室を何回も歩いて往復していました。

 

胎盤と子宮の間に、海藻入れたり、風船入れたりしていました。

 

万策尽きて、いよいよ促進剤が投入され、今までの痛さはホンの子供だましだったことに気が付きました。本物の陣痛の痛さは桁違いでした。

なのに、促進剤投入後もなんかいまいちだったので、赤ちゃんの包まれている袋をメスで突っつくかなんかして、破水を促すことになりました。

もうすぐ隠居かな?と思わせる風貌の院長が手にメスを持って、ちゃちゃっとやっていました。

 

実は!実は!それでもなかなかで、夜もずいぶん遅くなってから、二人の看護師さんに

「チョット来てくれる?」と、こっそり診察室に呼ばれました。

ここは個人病院で、その隠居院長と三人の看護師さんがオールスターキャストでした。

そして、その日の入院患者は私一人でした。

三人の看護師さんたちは、お孫さんもいる気の良いベテラン看護師さんで、皆さんが交代で作ってくれる日に三食の病院食は、相当おいしかったです。

 

その日の当直だった二人に呼ばれ、私は相変わらず激痛のままで、診察台の上で仰向けになりました。

私の足の方で、

「あ、やっぱり切れてない!」

「あ、ほんとだ、切っちゃおう」

と聞こえてきました。

そのことについて、あまり説明もされないまま、私は自分の病室に返された、のもつかの間、私にはさらに本物のヤツがきました。これが最後と思われるビッグウエーブです。

それからは目まぐるしく状況が変化して、とうとう子宮口が7センチだか10センチだか開いてきたというので、やっとのことで分娩台に上がることができました。

激痛の中、上向きで排便する感じです。

途中で看護師さんが、「旦那さん、手を握ってあげて!!」

と言ってくれましたが、こっちはそんな余裕全くないです。

「いい!!(いらない!!)」と遮って、分娩台の手すりを握りしめました。

ちなみに、旦那さんは立ち合い出産です。

茶柱の時も、三歳下の八兵衛の時も見ています。

旦那さんによると、赤ちゃんはどうやらスクリュウーして出てくるそうです。

 

茶柱が産声を上げたのは、結局夜中の一時過ぎで、日付が変わっていました。

出てくるギリギリまで、ずっと痛いままでした。

 

そして出産した直後、分娩台の上で私は、ただただ放心状態でいました。

 

実は、今回書こうと思ったことは、ここまで書いてきた出産のことではありません。

ここから先の、分娩台で私がホゲーっとなっていた時のことなのです。

 

分娩台で 出産した後、看護師さん二人は生まれたての赤ちゃんにかかりっきりで、妊婦さんは息んでいた体制のまま、しばらく放置プレーをくらいます。

何か布的なものをかけてくれる、とか言った配慮は一切ありません。

お母さんなんですから!といったところでしょうか?

 

これが個人病院ならまだいいんですけど、大学病院だの総合病院だのになると、それまで顔も見たこと無かった白衣を着たドクターな人たちが、どこからともなくワラワラ現れ、代わる代わるやってきては、私の足元にまわり、ただ見て帰っていきます。

ほんとにもー!どうにかしてよー!そこら辺のことさー!今でもこんな無神経な感じでやってんのかなー??

 

ちょっと冷静さを失いました。すみません。

 

で、今回のお話、分娩台の上で。

私はひたすら、ひとりでホゲーっとしていました。

旦那さんは病室に帰され、赤ちゃんがキレイに拭かれたり、体重身長計られたりして、私の顔の横に連れてこられるまでの、ホンのわずかな時間、ただホゲーっとしていた私の耳に声が聞こえてきました。

 

お母さんは、単なるドアだからね。

 

と言うんですよ。

 

その時はとっさに、今私が生んだ赤ちゃんの声なのか?とおもっちゃったんですよね。

喧嘩売ってんのかな?宣戦布告か?

と、思っちゃったんですよね。その時とっさに。

 

でも、違うな。とすぐ思い返しました。

声の質が、とても落ち着いていて、女のような男のような判別できない感じで、尖った感情とか余計な圧力のない印象で、純粋に説明してくれてるように思えたからです。

 

お母さんは単なるドアにすぎなくて…

 

本当は人間て、何もなくポッと出てくることができるんだけれど、

 

 人間は物質の社会に住んでいるでしょ?

 

だから、それだと自分たちが理解できないから、妊娠、出産、という経過を経て生まれてきてるんだよ。

 

だから、お母さんは、「お母さん」じゃないからね。

 

ドアにすぎないからね…

 

 

 

物質の社会って、何だ?

 

何言ってんのか、芯のところを理解する事がその時はできませんでした。

 

んー、だけど、この二十年の間、子供とはじめて生きてみて、子供の成長をまじかで見てきて、その声の言わんとするところが、少しは理解できるようになったかな、と思います。

 

なんだか、長時間の出産という初めての非日常体験のすぐあとだったので、その後の色んな非日常的なことも、たいして不思議にも思わず、疑わずに、へー、そうなんだ、といともあっさり受け入れて、今日に至っています。

 

そしてここにきて最近思うのは、あの声は、今の私が、あの出産初体験の私に言いたかったことが、あの時の私に届いちゃったんじゃないかな?

 

という気がしています。

 

そんなことってあるのかな?

 

 

【追記】

茶柱を出産した産婦人科病院は、そこそこ人気のエリアにありました。

病院は最寄駅から3分ほどのところで、とあるデパートの裏手の路地に面してあったのですが、今では、その山川産婦人科病院(仮名)は、 おしゃれな飲食店がぎっしり入った、山川ビル(仮名)になっていました。

先日、茶柱と久しぶりにその街に降り立ち、しばらくそのビルの前でしみじみしました。