脚立の日記

きゃたつのにっき

ゲームボーイポケットのスケルトンのやつ。

 

今週のお題「ゲームの思い出」

 

こんにちは。脚立です。

 

今どきは、ゲームと言ったら、

 

オセロ!!とか、

 

人生ゲーム!!とか、

 

ドンジャラ!!

 

とかよりはやっぱり、スマホゲーム、とか、いわゆるテレビゲーム、のことですよね。

 

子供、と言うにはずいぶん大きくなってしまった子供を二人持つ私も、週末は特に、夜な夜な、ゼルダの伝説やったり、スマホでポケ森やったりしています。

 

ただゼルダはもう、馬にまたがるようになってからは、部屋の隅に転がっています。

 

馬にうまく乗れないので、モチベーションがダダ下がりです。

 

ポケ森は、いいかげん足を洗いたいのに、次々とイベントが開催されるので、ズルズルと続けています。

 

ところで、私の旦那さんですが、

 

定年になったらゲーム以外は何もしない。

 

と言っています。旦那さんがそう言うのも、納得です!

 

だって彼は、プレステ全盛期だった二十代後半の頃、朝起きてすぐゲーム。

出掛けるギリギリまでゲームやって、電源は何もかもつけっぱなしで会社行って、帰ってきたらまたゲーム、という生活をしていた人なんです。

自分のやったゲーム画面を録画して、土日はその鑑賞会です。はははは、はは。

そんな彼と私が結婚して、長女が生まれた4か月後、旦那さんは飛行機で、長距離移動のある出張に行くことになり、彼がまず最初に準備したのは、ゲームボーイポケットのスケルトンのヤツです。会社帰りに買ってきて、帰宅するなり、

 

もう、これで大丈夫。

 

って、言ってました。懐かしい思い出です。

 

定年後じゃなくったって、今からゲーム、またやったらいいじゃん。子供の手前??仕事優先??そんなところだけは、すっかり大人になったんだな~。

父性。

今週のお題「おとうさん」

 

 私は、男の人ってもんを、全くわかっていなかったんだ!と、

 

自分が男の子を出産して、はじめてそれに気が付いた。

 

お年頃には恋愛もしたし、旦那さんと結婚したし、第一子で女の子を出産したけど、

 

今まで自分が思っていた男性像って、ただの勝手なイメージでしかないってことを知った。

 

だいたい男の子を持つお母さんは、みんな口をそろえてこう言う。

 

男の子は優しい!!

 

って。

 

なのに、おとうさんになると、

 

臭い、うるさい、面白くない、って言われるようになるのが世間のイメージ。

 

この激変、何がそうさせるんだろう??

 

 

世間が男の子を、優しいままでは居させなくするのかな? 

 

だから、おとうさんは、優しい男の子から変身して、

 

世間の荒波で戦えるように、

 

臭い、うるさい、面白くないっていう鎧を着ちゃうのかな?

 

ごめんね。おとうさん。

 

ありがとう。おとうさん。

 

口から漫画の吹き出し。💭

こんにちは。脚立です。

 

 

突然ですが、

 

誰でも、不思議な経験をしたことが、一度や二度はあるんではないかな??と思います。

 

ざっくり切って、ぱっくり開いた傷だって、だんだん小さくなって、そのうち消えてしまうんだから不思議です。

 

だけど、

 

なにいってんの、そういうもんだよ、と思って見れば、不思議でも何でもありません。当たり前のことです。

 

私もたまーに、あれ??不思議だなあと、ありえないと思うようなことが見える時があります。

 

より不思議だと思うのは、目の前にないはずのものが見えることより、案外、目の前にいる生身の人に起こった、ありえないこと、を見たときです。

 

私は大人なので、それを口に出すことはめったにしません。口に出すときは、とても慎重になってしまいます。

 

ですが今日は、

 

そもそも気が付かないだけで、不思議なことは、日常には溢れるように起こっているのが当たり前なんじゃないかな?

 

ということについて、書こうと思います。

 

 

私が、その人に会うのは二度目でした。

ある会社の営業の方で、我が家の担当さんの上司です。

優柔不断な我が家の決断を促すためなのか、久しぶりにお会いすることになりました。

挨拶を交わして、暫くはその上司の営業トークに耳を傾けていたんですが、急にキーンと耳鳴りが始まったかと思うと、まわりの音が止まって、私の耳には音が一切聞こえなくなりました。

私は真空管の中か、海の底にいるような状態になりました。

でも目の前では、上司の人が私の変化なんて感じる様子もなく、それまでと同じようにしゃべり続けています。私は消音の映像をただ見ていました。

 

すると、その上司の口から、白い煙が出始めました。

 

その煙は、上司がしゃべればしゃべるほど、モクモクと彼の口から出続けて大きくなり、やがて雲のようにひと塊になりました。

上司の人の左側に、頭のてっぺんからお腹位にまで細長く大きくまとまった形が、まさしく、

 

漫画の吹き出し!!💭

 

でした。すると、今度はそこに、黒い太めの活字で、

 

対人関係に悩んでいる。

 

と縦書きの文字が浮き上がって見えました。

 

私は引き込まれるように見ていたのですが、はっと我に返り、この状況をどうしたらいいんだろう?と、内心、ヤバいと焦り始めました。

すると唾を飲み込んだら耳ぬきがうまくいき、ようやく音が聞こえ、それと同時に、漫画の吹き出しも見えなくなりました。

こんなことは、後にも先にも初めてのことでした。

 

その後、私は何事もなかったように冷静を装い、上司はまだ私に購入の意思があるとわかると、一通りの社交辞令を終えて退席しました。そのまましばらく担当さんと雑談をしていたので、私は思い切って、彼は対人関係になんか悩みでもあるの?と聞いてみました。そうしたら、

 

実は最近、上司は離婚したばかりなんです。だから、離れて暮らすことになった小さな息子と滅多に会えなくなる。さらに、両親が住むためのマンションを自分が買うことになって、それがわりと一等地の物件で大変なんです。

 

という話を聞いて、私はそれでひとり合点がいき、胸の内で自分の膝を叩きました。

上司は今まさに、ダブルパンチ、トリプルパンチ、を受けた状態なんだな。

だから、口を開く度に腹にたまったものが外に溢れてしまうんだな、と思いました。

 身内のことだと、なおのこと、飲み込めないことでも飲み込もうとしちゃうのかもしれません。

 

さらに上司の人は、急にマッチョ系のジムに行き始めたんだそうです。

それを聞いて、きっとジムに行って体を動かして、雲を蹴散らして気持ちを切り替えようとしているのかも、と思いました。

人間て、無意識に自分で道を切り開いていくもんなんだな、と感心しました。

 

それで私は、車でスキー場に行った時のことを思い出しました。

最初は視界良好だったのに、山を上がれば上がるほど徐々に霧が濃くなって、スキー場につく頃には、これは霧じゃなくて雲の中にいるんだね!!ということがありました。

雲の中に入ってしまうと、もう自分たちのいる車内しか見えなくなっていました。

でも、昼頃に太陽の日が差し始めれば、あっという間に辺りの厚い雲は切れて、見晴らしはだいぶよくなりました。

 

だから彼の横にできた漫画の吹き出しは、それ以上大きくなって彼を包み込んでしまうことなく、そのうちどこかへ行ってしまうかも、と思いました。

 

 

たまに、今はあの人のそばに近寄りたくない。とか、ここまで来たけど急になんだか気乗りしなくなった。とか、言うことがありますが、きっとそこには見えないけれど、煙や雲があるのかもしれません。

 

反対に、 何故か今あの人に声をかけてみたい。と、思うこともあります。そこには、温かい温風が吹いているのかもしれません。

 

私にはかつて、温風の方の経験もありました。

幼稚園の保護者会の役員をしていたとき、話し合いの雰囲気が険悪になりかけたことがあり、嫌だなと思って、ふっと目をそらして教会の礼拝堂の十字架を見たら、急にとても優しい温風が顔面にブオオオっと吹いてきて、そこからみんなの気持ちが歩み寄って、良いアイデアが出て無事に会を終えることができた、ということがありました。

息子の八兵衛が通っていたのは、教会付属の小規模な幼稚園でした。小さな教会なので会議専用の部屋はなく、礼拝堂の端っこを使って集まっていたので、十字架はいつでもバッチリ目に入りました。

私は、みんなで集まってお祈りをしたりするようなことに、まったく興味も関心も持てません。それなのに温風を頂いちゃって、すいません…。

でもその温風は、とても心地が良かったです。わんこになって、洗ってもらった体をドライヤーで優しく乾かしてもらってる、みたいな幸せな気分でした。

 

窮地に追い込まれて困ったときに、溺れる者は藁おも掴む状態になって、普段信じている当たり前が逆転して、見えないものが見えて、感じないものを感じるんでしょうか?

 

普段見えないのに、急に見えてくるんだから、やっぱり普段から不思議なことは当たり前にそこにあって、何かのきっかけでボタンを押しちゃって、うわーっと、幕が上がってそれを見る、そんなような気がします。

 

 自分の焦りが収まると幕も閉じる。だけど閉じた幕の向こうでは、いつでも、不思議な出来事が不思議じゃなく、日常的に淡々と起こっているんじゃないかなと思ったりします。

 

見えないっていうだけで、本当は私たちはいつも、煙を吐き出したり・受け取ったり、厚い雲をまとったり・まとわりつかれたり、温かい温風を出したり・受けたりして、暮らしているんじゃないかな、なんて思います。

 

もし、いつも、自分が出しているすべてのものが見えたら、もっと丁寧に、自分が出すものを選ぶのに。

 

そうしたら、八兵衛の忘れ物にも、私の頭の角が飛び出さないんだけどな。

 

でもなかなか、そうもいかない!!

 

と、大人の部分の私が言っている、今日このごろです。

人間は、何が信じられないって、それは自分のことが一番信じられない。

なんだかちょっと、強めなタイトルです。

 

こんにちは。脚立です。

 

今日は、

 

この言葉が、自分の口から出たときのことについて、

 

書こうと思います。

 

 

息子八兵衛が幼稚園児の時、同級生のママの中に、とびきりフレンドリーな人がいました。

3人姉弟のママさんで、真ん中の女の子が八兵衛と同い年、一番下はオムツがもうすぐ取れそうな弟君でした。

何かの拍子に私が、一番の望みは何?と聞いたら、彼女は大きな目で私をまっすぐ見て、「世界平和」と即答しました。

そんな溌剌ママさんの話し相手に、私は度々起用されていました。 

 

社宅もなく住宅手当も少なくて賃貸に暮らしていると、更新のたびに悩みます。

また二年後に高額な更新料を払うのかと思うともったいなくて、いっそのことなにがしかを購入してしまった方が、お得なんじゃないかと。それに、子供たちはどんどん大きくなってきます。

通勤時間のことがあるので、住める地域にも制限があり、どれをどう優先しようかと、悶々と悩みます。

我が家も、似た状況を通ってきたので、彼女の気持ちがよくわかりました。

 そして、八兵衛たちはあと数か月もしたら卒園、オムツだった弟君が入れ替わりに入園、という頃、住宅問題に何の進展もないままで、彼女の焦りのボルテージは日に日に高まっていました。幼稚園のお迎えの時、彼女に呼び止められ話を聞いているうちに、私の口は、

 

3年後に弟君が幼稚園を卒園したら、その保育料と今住んでる所の賃料と、それに後ちょっと足したら、買って引っ越せるようになるよ。その期間に、部屋の片付けをして、いつでも引っ越せるようにしといたらいいよ。

 

と、言いました。

 

彼女は焦る気持ちを抑えて、少し納得してくれたようでした。

 

それから無事に、我が子たちは幼稚園を卒園し、小学校は隣同士の学区だったため、顔を合わせる機会があまりなく三年ほど経ちました。

その溌剌ママと私には、もう一人共通の仲の良いママがいて、私たちは当時こちらのお宅に集まっていました。気持ちのすっきりした姐御肌のママさんでした。(あっそうそう、私はこのすっきりママの手が大好きなんです。心地いい温かさの手なんです。)このママとも子供の通う小学校は違いましたが、交流は続いていました。

その日は久しぶりに三人揃うはずでしたが、実際は私だけがお邪魔しました。

溌剌ママは、リフォームや引っ越し準備のため、多忙でこれませんでした!!

そう、溌剌ママの念願だった希望が、形になろうとしていました。

そして、すっきりママには、こう言われました。

 

「本当にきゃた子が言ってた通りに、今まで払っていた幼稚園代とアパート代にチョット足して済んだんだって。タイミングも弟の卒園時期だって驚いてたよ。シャーマンきゃた子だ!!って、言ってたんだよ~。」

 

 それを聞いて、私の口は、このタイトルを言ったんです。

 

人間、何が信じられないかって言ったら、自分のことが一番信じられないんだよね。

生まれてこのかたずっと、親の家に住んでいるから、まさかこんな高額なものを自分たちで買って住むなんて思えないんだよ。だから、何度も不動産屋に行って話を聞いたり、物件見たりしているうちに、だんだん出来るかもって、その気になってくるんだよね。そんな感じで、だからシャーマンでも何でもないんだよ。

 

この時私は、自分の口が言っているのを、ああ、そういうことか、と思いながら聞いていました。

 

この時の光景を、最近ふと思い出したんです。

そして、結局、予言とか占いとかは、客観性を売ってるのかもな、と思ったんです。私は彼女と似たようなところを通って来たから、未透視が立っただけなんです。でも当事者だと、真剣に一生懸命考えているがゆえに客観的になれず、かえって未透視が立たなくなってしまう。

そういう時に、自分を信じられていれば、一時客観性がなくなっているだけだと気が付ける。そうしたら、たとえ物事が煮詰まっても焦らずに、自分で自分を追い込んでいることに気が付いて、また気持ちに余裕が生まれて自分のペースで進めていけるんだなと、数年たって、私自身があらためて、出来事を飲み込みました。

 

振り返ってみると当時の私には、

 

自分自身を、一体どうしたらいいんだろう?

 

という、閉塞的な疑問があって、でも今は、その答えが以前より解るようになったから、急にやり残した宿題を思い出して、終わらせたんじゃないかな?という気がします。

 

欲しい答えがどこにあるかといえば、それはだいたい、その過程そのものなんですよね…。今すぐどうにかしなきゃ!という気持ちが強すぎて、その時の私には、自分に余裕がないっていうことさえ、まったく思いもつかないことだったんたんです。

 

 

自分を信じられないという思いを、どうしたらいいのか?

 

今の私なら、あの時の私に優しい気持ちで、こう言います。

 

特段気にしなくていいよ。そのまま見守っていたらそのうち、よくなってるよ。

あああああー、馬に乗れない。

 

 


あー、馬に乗れません!!

 

馬に乗るの、むずかしー!!

 

こんにちは。脚立です。

 

中間考査明けの息子・八兵衛に手ほどきを受けて、

 

ゼルダの伝説、やってます。

 

乗れねー、馬。

 

八兵衛が簡単に乗ってるから、

 

誰でも簡単にできるのかと思い、

 

私も馬に乗りたくて始めた、ゼルダの伝説

 

あまりにも上手くいかないから、

 

馬を降りて自分で走って、

 

口笛で馬を呼んで、また走る、

 

の繰り返しで、

 

旅してます。

 

首都高バトルより、馬、むずかしー。

『人生に物語は要らない』の増田へ。

今週のお題「あの人へラブレター」

 

 

こんにちは。脚立です。

 

まだブログを書いたり、色々貼ったりするのに慣れなくて、

 

手探り状態なので、ビクビクしながらやってます。

 

じゃあどうして急に、ブログをやってみようと思ったのか?

 

そして、それが何故「はてな」なのか?

 

ということについて、

 

そのきっかけになった人のことを、

 

今日は、書こうと思います。

 

 

私は、台所(なんか、キッチン、とは言えない。こっぱずかしくて。)で洗い物をしながら、水の音を聞くのが好きなんです。

 

集中できるというか、無心になれるというか。

 

私にとって、そういう大切な場所です。

 

そしてその日は、ふと、

 

人生に物語なんて必要ないんじゃないかな?

 

という言葉と思いが、よぎったんです。

 

いつものように、台所で水の音を聞きながら洗い物をしている時に。

 

それで何の気なしに、その言葉を検索してみよう、

 

と思い立ち、パソコンを開いたんです。

 

そして、一番上に出てきたヤツをクリックしたら、

 

それが、

 

はてな匿名ダイアリー』だったんです。

 

4か月前に投稿されていた、『人生に物語は要らない』でした。

 

読み始めてすぐに、引き込まれました。

 

こんなに、いいなー、と、

 

自分の深いところから思ったのは久しぶりでした。

 

書いているこの人が、今、 どこかに暮らして生きているんだな、

 

と思い、とても嬉しくなりました。

 

この増田が、自分を表現しようと思ってくれたから、

 

こうして、私も久々の芯の温かさを味わえました。

 

そして、自分のことを考えました。

 

私はどうだろう?

 

特に結婚してからは、ずっと、自分を表現していなかったんです。

 

自分を出すと、むしろ、

 

損をした!

 

と、後味の悪い思いをすることが多かったので、

 

自分そのままを出すことより、

 

自分を、どう立ち振る舞わせるか、を考えて話したり、行動したりしていました。

 

それが、大人ってもんだ、私もそういうことが出来る大人になれたんだな、とさえ、思っていました。

 

 

 私に書けることなんて、ほぼありません。

 

みんながもう、解っていることだから。

 

もし、書けることがあるとしたら、

 

それはちょっと、気色悪い事柄になってしまいます。

 

私の中だけにありさえすれば、それはとてもいい思い出で置いておけます。

 

 でも、『人生に物語は要らない』の増田が書いたのを読んで、

 

私の中に起こった感動が、色々と蓋をしていた別のところにも飛び火して、

 

あっちこっちと化学変化を起こして作用しました。

 

 

やっぱり、私も、

 

人生に物語なんて要らないな、と思います。

 

自分に、他人に、誰に、ということなく、

 

できるか、できないか、は後回しにして、

 

ただ、自分の中にある温かいものを外に出し続ける、

 

ということだけ大切に思っていれば、

 

とたんに、物語なんて要らなくなる。

 

意識もしないし、むしろ存在さえしなくなるんだな、と思います。

 

以前はあんなに、

 

人生から物語がなくなったら、おもしろくない!と思っていたのに。

 

 

なんだか、語り口が妙にしっとりして、自分が恥ずかしい。

 

でも、いいんだ。これはラブレターなんだから。

 

ありがとう。

 

『人生に物語は要らない』の増田。

 

 

 

 

私、実は死ぬのが楽しみなんです。...大丈夫!大丈夫!そういう意味ではありませんから!!

こんにちは。脚立です。

 

今日は、

 

実は私は、自分が死ぬことに対して、(わりと)ポジティブな印象を持っている、

 

ということについて、書こうと思います。

 

 最初からそうだったわけではなく、

 

色んな体験の積み重ねという下地はあったのですが、

 

特にある一つの出来事が転機となって、

 

その時からは、自分が死ぬことに対しての考えが、ポジティブ側に移行しました。

 

そうなると、結構生きるのが楽ちんに感じるようになりました。

 

悩みやめんどくさい事柄に遭遇することは、今も当然、しかも多々あるのですが、

 

それさえ、ちょっと楽しみなイベント的な感じで、捉えることができるようになりました。

 

すぐに解決しない!!ということに、ヤキモキする気持ちを、以前よりは調整しやすくなったな、と思います。

 

 その転機が私に訪れたのは、結婚してすぐ、女の子と男の子を三年間の間に産んで、訳も分からず怒涛の勢いで時間が流れていた時期でした。短期間に三回の引っ越しが続いたりして、今振り返っても気持ちに余裕はなかったように思います。

 

仕事は辞めていました。私の性格は、同時に二つのお鍋を火にかけられないのです。あっという間に、どちらかを焦がしてしまう。気付いた時にはもう真っっ黒、なんてことは何度も経験済みでした。

でもその時、心の底では、

「大丈夫。子供が大きくなってからでもまた何かを始められる。そのことを自分に証明しよう。」

という思いがありました。しかもそれは、私自身の思いというより、客観的にみているもうひとりの自分が言っているのを、私が聞いている、という感じでした。

 

当時、海辺の町に暮らしていました。

と言うと、ちょっとカッコよく聞こえたりしますが、住んでみると、部屋の中まで砂がジャリジャリ入ってきたり、塩害でよく停電するなど、それなりに大変なこともままありました。

  そんな環境なので、暮らしている人たちの気風も、そういうことを受け入れていける、のんびりしたところがありました。

そして海辺の町には、意外と公園がありません。

役所に問い合わせても、

「海!海!海がありますよー!」

と、海で遊ぶことを推奨されます。

でも、毎回砂浜で遊ぶわけにもいかないので、子供が幼稚園に行くようになると、降園後も、もてあますパワーを誰かの家に集まって発散させます。

その日は、5歳の娘・茶柱の同級生の秋斗君のお宅に、初めて呼ばれました。他にも親子数組が集まっていました。

この辺りの地主さんなので、お家には広い庭もありました。

 

部屋の中で子供たちはまったりおやつを食べ、ママたちはみんな、おしゃべりで盛り上がっています。

茶柱にも部屋でまったりしていてほしかったのですが、彼女は広い庭で蟻んこを観察中でした。

それを追って、2歳の弟・八兵衛も行こうとするので、さすがに子供だけにはできないので、私は大人の中で唯一、庭に出て行きました。

部屋の中から庭に出て、ガラス窓を閉めると、びっくりするほど空気が変わって静かでした。

「いいなあー、庭。」

と、植木を眺めながらぼんやりしていると、親子三人がその場に馴染めなさそうにしていると思ってくれたようで、秋斗ママも庭に出てきてくれました。

 しばらくすると、どうしたことか、秋斗ママの横に、急にどこからともなくすうううっと、透明人間が寄り添いました。

 

・・・

ごめんなさい。ごめんなさい。大丈夫です!

私の気は確かです!!

 

私の頭の中では、ちゃんと色付きの人間が見えているのですが、

私の目には、目の前の人間の、輪郭だけはっきりあって、他は透明に見えていました。

私はなぜか、この人は、秋斗ママのお母さんだと、あったこともなかったのですが、そう思いました。

お母さんは、秋斗ママの健康と幸せを心から見守り、願っている感じがしました。

さらに、私のことまで、驚かせないようにしたい、という優しく温かい配慮の気持ちが感じ取れました。

とても素敵な人でした。

こんなことは初めてだったのですが、なぜだか恐怖心もなく、見て、感じているものを、普通のことのように受け入れていました。

でも、その母と娘が隣同士に並んだのは、時間にしたらほんの一瞬のことでした。

お母さんと入れ替わるように秋斗ママは、急に用事を思い出して部屋の中に入って行ってしまいました。そうするとお母さんもまた、すっと、見えなくなりました。

 

その数か月後、また秋斗ママに誘われました。

今度は我が家三人だけでした。

そして私は思いっ切って、その時の話をしてみました。

気味悪がられそうで躊躇したのですが、それ以上に口がしゃべりたがってムズムズしたからです。

そうしたら秋斗ママが、

実は、お母さんは7年前に亡くなっていて、イタコみたいなことができる人はいないかなー?と思っていた、と言ったのです。

 

ごっごめんなさい、私にはできません!!

 

でも、この時思ったんです。

人間が死んだあと、そこに世界がなくてもあっても、ここより悪いってことはないんじゃないかなって。

もし自分が過酷な状況に居たら、他人にあんなに温かい気持ちを注ぐことは出来ないんじゃないかな?と思ったんです。そこには、こんな素敵な人がいるんだなって。

あんなに心地いい温かさに触れたら、死んで行く先のことは心配しなくても大丈夫なんだ、と思えました。

 

私が死ぬのは確実です。でもその先のことは心配しなくても幸せなところだ、と思えるようになると、普段色々と抱えている悩みや生きづらさも、不思議と自分の考え方に変化を感じられるようになりました。

でも、それはいっぺんにすぐ、というわけではありませんでした。徐々に、5歳の娘が20歳になるくらいは掛かってしまいました。

その間、行っては帰って、また行っては帰って、の繰り返しでした。

この転機は、そうやって何かあるたびに、何度も、何度も、私に、

 

大丈夫!!

 

と思わせてくれる出来事になりました。

 

大人になるって、こわいです。

今でも私はそう思っています。

でも、大丈夫、とも確かに思っています。